Glossary entry (derived from question below)
English term or phrase:
picture, which so clearly belong to painting
Japanese translation:
描くという行為そのものと言ってよい絵画
Added to glossary by
jackamano
Apr 27, 2010 15:19
14 yrs ago
English term
picture, which so clearly belong to painting
English to Japanese
Art/Literary
Art, Arts & Crafts, Painting
Metzinger wrote in his "Bemerkungen uber die Malerei" about Picasso. : "It is useless to paint, while it is possible to describe. Equipped with this thought Picasso reveals to us the real face of painting. ...... I know no pictures from the past, not even the best of them, which so clearly belong to painting
Proposed translations
(Japanese)
1 | 描くという行為そのものと言ってよい絵画 | cinefil |
4 +2 | 絵の具で描く | Tina Wooden |
3 +2 | まさにこれこそが本物の絵画というものだ | Akiko Sasanuma Howard (X) |
5 -1 | 絵画という分類に確実に属する絵 | leutene |
3 | これ(ピカソが描いた絵)ほど、紛れもなく絵画に属する作品というものを私は知らない | RieM |
3 | 明らかに「ペインティング」されたと言える絵 | Yumico Tanaka (X) |
Proposed translations
8 hrs
Selected
描くという行為そのものと言ってよい絵画
an idea
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Note added at 20 hrs (2010-04-28 11:33:03 GMT)
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describe=paintingというのが私の考えです。
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Note added at 1 day12 hrs (2010-04-29 03:23:15 GMT)
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「絵画文化の発展は、キュビズムにおいてかくあるべきシステムに到達した。ここにおいて、絵画というものが解明され、それを通して、対象と自然への関わりが明らかになった。そして、キュビズムのシステムを通して、我々は新しい構成をもった絵画的構造を、次から次へと作り上げることにより、その育成に努めなければならないのである。
キュビズムの絵画運動を詳細に検討するなかで、私は絵画文化が無対象の道を歩むべきであることを発見し、そのことについては、1915年の私の著作『無対象の新しい絵画のリアリズムとしてのシュプレマティズムについて』で発表した〔後述〕。無対象を直視したうえで、我々は既存のフォルムを模倣するのではなく、新たな絵画的フォルムを創り上げねばならない。それはとりもなおさず、我々がすでに直接的な創造の道に向かって歩み始めているということであり、その場合は、絵画の世界のどこにおいても、無秩序に成長していくものなど何ひとつないのである。」
http://d.hatena.ne.jp/m-tz/20091226/1261828009
http://d.hatena.ne.jp/m-tz/20091222/
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Note added at 1 day20 hrs (2010-04-29 12:13:47 GMT)
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ピカソが写真家ブッラサイに次のようなことを語った記録がある。「あなたが写真で表現するものを見れば、最早絵画の関心事であり得ないものすべてが解る。レンズのおかげで見事に定着させることの出来るものをやりなおすのに、どうして芸術家がしがみつくだろう。写真は、絵画を文学や逸話、主題さえもから解放するために丁度よい時期にやってきた。主題のある面は写真に属している。画家はせっかく取り戻した自分達の自由を、何か他のことをするために利用しない手はない」。つまり、写真以前のような、宗教画や肖像画を描くことの強制もなければ、遠近法に従って、そっくりに描く義務からも解放されたのだ。
http://trend-of-thought.biz/art/kaigalon1.html
私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/パブロ・ピカソ
http://www.b-sou.com/palw-Picasso.htm
つまり、絵を描くことは、対象と主体との関係を固定化するというよりも、それを疑うことによって成立している。極端にいえば、そのような関係に対する疑いや不安があって、それを捉えようとするからこそ絵を描くわけです。だからそれは、自分がいる場所を確認し確保することと、動機として繋がっているのかもしれません。
http://mxa21.jp/Basic_study/project04_01.html
キュビズムは決して抽象画ではなく、概念として世界を描いたものなのです。
http://www.korega-art.com/picasso/
http://ja.wikipedia.org/wiki/絵画
直接関連はありませんが、笑えます。
http://www1.bbiq.jp/~egapemoh01-21/art21sozo/q-a-menu.html
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Note added at 2 days11 hrs (2010-04-30 02:32:15 GMT)
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この箇所では、プリニウスは、絵画藝術の起源は本書の主題ではないと断りつつもその起源は「人間の影の輪郭線を辿ること(umbra hominis lineis circumducta)」にあったと簡略に報告している。
http://homepage.mac.com/kokutsu/Okutsu/Shadow.pdf
ここでは、或る事柄[Upsprung]が、それからそしてそれによって、その事柄にほかならないものであり、まさにその事柄らしいあり方においてあるような、かのものを意味している。われわれは、或るものが、まさにそのものらしいあり方において、そのもにほかならないものであるような、そういうものを、その或るものの本質[Wasen]と名づける。或るものの根源とは、その或るものの本質の由来[Herkunft]である。
ゴッホの絵画によって、道具の本質を知ることができた。
ヴァン・ゴッホの絵画は、道具、すなわち一足の農婦靴が真理において[in Wehrheit]それであるものの開示である。この存在するものはその存在の不伏蔵性[unverborgenheit]の内へと歩み出る。(・・・)ここで、存在するものの開示が、その存在するものがそれにほかならないものへと、そしてそのもののまさにそれらしいあり方へと生起するなら、作品において真理の生起が活動しているのである。
※不伏蔵性(=隠されていないこと)
つまり、芸術作品は存在するものの真理を開示するものである(存在の隠されていないことを示す)。
芸術作品の作品的なものは真理の開示である。
そして、芸術の芸術的なもの、本質とは、
存在するものの真理がそれ自体を-作品の-内へと-据えること
である。
http://d.hatena.ne.jp/hiro-huto/20091102/1257159067
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Note added at 20 hrs (2010-04-28 11:33:03 GMT)
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describe=paintingというのが私の考えです。
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Note added at 1 day12 hrs (2010-04-29 03:23:15 GMT)
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「絵画文化の発展は、キュビズムにおいてかくあるべきシステムに到達した。ここにおいて、絵画というものが解明され、それを通して、対象と自然への関わりが明らかになった。そして、キュビズムのシステムを通して、我々は新しい構成をもった絵画的構造を、次から次へと作り上げることにより、その育成に努めなければならないのである。
キュビズムの絵画運動を詳細に検討するなかで、私は絵画文化が無対象の道を歩むべきであることを発見し、そのことについては、1915年の私の著作『無対象の新しい絵画のリアリズムとしてのシュプレマティズムについて』で発表した〔後述〕。無対象を直視したうえで、我々は既存のフォルムを模倣するのではなく、新たな絵画的フォルムを創り上げねばならない。それはとりもなおさず、我々がすでに直接的な創造の道に向かって歩み始めているということであり、その場合は、絵画の世界のどこにおいても、無秩序に成長していくものなど何ひとつないのである。」
http://d.hatena.ne.jp/m-tz/20091226/1261828009
http://d.hatena.ne.jp/m-tz/20091222/
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Note added at 1 day20 hrs (2010-04-29 12:13:47 GMT)
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ピカソが写真家ブッラサイに次のようなことを語った記録がある。「あなたが写真で表現するものを見れば、最早絵画の関心事であり得ないものすべてが解る。レンズのおかげで見事に定着させることの出来るものをやりなおすのに、どうして芸術家がしがみつくだろう。写真は、絵画を文学や逸話、主題さえもから解放するために丁度よい時期にやってきた。主題のある面は写真に属している。画家はせっかく取り戻した自分達の自由を、何か他のことをするために利用しない手はない」。つまり、写真以前のような、宗教画や肖像画を描くことの強制もなければ、遠近法に従って、そっくりに描く義務からも解放されたのだ。
http://trend-of-thought.biz/art/kaigalon1.html
私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/パブロ・ピカソ
http://www.b-sou.com/palw-Picasso.htm
つまり、絵を描くことは、対象と主体との関係を固定化するというよりも、それを疑うことによって成立している。極端にいえば、そのような関係に対する疑いや不安があって、それを捉えようとするからこそ絵を描くわけです。だからそれは、自分がいる場所を確認し確保することと、動機として繋がっているのかもしれません。
http://mxa21.jp/Basic_study/project04_01.html
キュビズムは決して抽象画ではなく、概念として世界を描いたものなのです。
http://www.korega-art.com/picasso/
http://ja.wikipedia.org/wiki/絵画
直接関連はありませんが、笑えます。
http://www1.bbiq.jp/~egapemoh01-21/art21sozo/q-a-menu.html
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Note added at 2 days11 hrs (2010-04-30 02:32:15 GMT)
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この箇所では、プリニウスは、絵画藝術の起源は本書の主題ではないと断りつつもその起源は「人間の影の輪郭線を辿ること(umbra hominis lineis circumducta)」にあったと簡略に報告している。
http://homepage.mac.com/kokutsu/Okutsu/Shadow.pdf
ここでは、或る事柄[Upsprung]が、それからそしてそれによって、その事柄にほかならないものであり、まさにその事柄らしいあり方においてあるような、かのものを意味している。われわれは、或るものが、まさにそのものらしいあり方において、そのもにほかならないものであるような、そういうものを、その或るものの本質[Wasen]と名づける。或るものの根源とは、その或るものの本質の由来[Herkunft]である。
ゴッホの絵画によって、道具の本質を知ることができた。
ヴァン・ゴッホの絵画は、道具、すなわち一足の農婦靴が真理において[in Wehrheit]それであるものの開示である。この存在するものはその存在の不伏蔵性[unverborgenheit]の内へと歩み出る。(・・・)ここで、存在するものの開示が、その存在するものがそれにほかならないものへと、そしてそのもののまさにそれらしいあり方へと生起するなら、作品において真理の生起が活動しているのである。
※不伏蔵性(=隠されていないこと)
つまり、芸術作品は存在するものの真理を開示するものである(存在の隠されていないことを示す)。
芸術作品の作品的なものは真理の開示である。
そして、芸術の芸術的なもの、本質とは、
存在するものの真理がそれ自体を-作品の-内へと-据えること
である。
http://d.hatena.ne.jp/hiro-huto/20091102/1257159067
Peer comment(s):
neutral |
Yumico Tanaka (X)
: この「描く」は、「ペインティング」に近い表現ですが、それでもやはりイコールではない気がします。「絵の具で」を入れれば、もっと本意に近くなる表現だと思います。paintという言葉自体に絵の具という意味がはいってるんですから、めんどくさいですよね。限りなくagreeに近いneutralとします。
2 hrs
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コメントありがとうございます。
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4 KudoZ points awarded for this answer.
Comment: "いつも適切なアドバイスいただき、本当にありがとうございます。"
-1
1 hr
絵画という分類に確実に属する絵
絵画という物の定義に入らない絵もあり、この場合はその定義に深く考えなくても入る絵画(例えば、油彩とか水彩などの)の事だと思います。
Peer comment(s):
disagree |
Yumico Tanaka (X)
: いや、ここでは分類とかを言っているのではなく、「ペインティング」の定義が問題でしょう。ピカソの絵はまさしくペインティングだ、と言っているそのニュアンスを出すには、「分類」と言ってしまうと、なんとなく学術的になって離れていってしまうと思います。
9 hrs
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neutral |
cinefil
: "Bemerkungen uber die Malerei"は、絵画論/絵画についてのエッセイ と訳せますか?
1 day 10 hrs
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5 hrs
これ(ピカソが描いた絵)ほど、紛れもなく絵画に属する作品というものを私は知らない
できるだけ英語からそれないように、それで日本語らしくなるように訳してみたのですがどうでしょう?
「clearly belong to painting」を別の角度から解釈すると、彼の絵なくして絵画を語ることはできない、と言っているようにとれます。それほどまでに絵画表現を追求したということでしょうか?
「clearly belong to painting」を別の角度から解釈すると、彼の絵なくして絵画を語ることはできない、と言っているようにとれます。それほどまでに絵画表現を追求したということでしょうか?
Peer comment(s):
neutral |
Yumico Tanaka (X)
: 「ペインティング」を「絵画」と入れ替えれば、賛成です。
4 hrs
|
10 hrs
明らかに「ペインティング」されたと言える絵
他の皆さんの回答に口出ししただけでは「じゃあ自分ではどうなの」と言われそうなので・・・
平たく言うと、ペインティングとは実際、絵の具をべたべたと筆で塗りたくる、そういう単純なことです。水彩画とは異質の油絵では、どんどん上塗りしていく、(その上での工夫や技巧はもちろんありますが)そういうことだと思います。
もうすぐ母の日、母の好きな胡蝶蘭の絵を描くつもりです。アクリル水彩とパステルチョークを使った方法で。。。皆さんもよき母の日を。
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Note added at 1 day12 hrs (2010-04-29 03:41:11 GMT)
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上記のディスカッションのおかげで、もちょっとましな訳語がみつかりました。
「過去のいかに優れた作品群にも、これほど「絵筆をとった」絵画作品といえるものはこれよりほかにない」というのはどうでしょうか。
平たく言うと、ペインティングとは実際、絵の具をべたべたと筆で塗りたくる、そういう単純なことです。水彩画とは異質の油絵では、どんどん上塗りしていく、(その上での工夫や技巧はもちろんありますが)そういうことだと思います。
もうすぐ母の日、母の好きな胡蝶蘭の絵を描くつもりです。アクリル水彩とパステルチョークを使った方法で。。。皆さんもよき母の日を。
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Note added at 1 day12 hrs (2010-04-29 03:41:11 GMT)
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上記のディスカッションのおかげで、もちょっとましな訳語がみつかりました。
「過去のいかに優れた作品群にも、これほど「絵筆をとった」絵画作品といえるものはこれよりほかにない」というのはどうでしょうか。
Note from asker:
paintingの意味の明快なご説明ありがとうございます。他の皆さんのご意見と比べながら検討させていただきます。 |
ただ、「ペインティング」というカタカナ語はなるべく避けたいと思うのですが、そうすると、やはり「絵を描くこと」のように言うしかなく、それもまた不自然ですね…。 |
+2
7 hrs
まさにこれこそが本物の絵画というものだ
昔から絵画が教会や王室などの権力や地位の誇示という「目的」のために利用されてきたという背景から、ここでは「絵画とは本来どんなものであるべきか」ということを語っているのだと思います。
ざっと訳してみると、下記のようなことだと思います。
Metzingerの「絵を描くことは(本来)無用なこと(つまりそれ以外に目的を持たないこと)だが、一方絵を使って描写説明することは可能である」という(絵画とは本来どうあるべきかという)洞察を踏まえて見てみると、ピカソの絵はまさに(最も純粋な形における)本物の「絵画」というものを私たちに見せてくれている。過去のどのような絵画も、たとえそれが最高傑作といわれるものであっても、ピカソの絵ほど Metzingerの絵画の定義に当てはまるものはない。(意訳すると「ピカソの絵ほど最も純粋な形での絵画の定義に当てはまるものはない」とか「まさにこれこそ本物の絵画というものだ」)
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Note added at 15 hrs (2010-04-28 06:27:57 GMT)
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たまたま最近耳にした「芸術とはその存在自体以外の目的を持つものではない」という言葉が非常に印象的で、それと同じことかなと感じました。余談ですが、私は昔絵を描くのが好きだったのですが、最近は陶芸に励んでいます。私は「実用品」を作るのが好きなので、これを聞いた時「やっぱり私は芸術家でないなあ~」とつくづく感じたわけです。
建築物の装飾や権力の誇示などの目的のためでなく、画家自身の内側からあふれ出てくる創作意欲をただそれだけのために表現するというのが本物の芸術なんではないか、と。
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Note added at 1 day7 hrs (2010-04-28 22:33:56 GMT)
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TinaさんやYumicoさんのおっしゃっていることを踏まえると、確かに2文目は「ピカソは絵を描くことの本来の姿を我々に見せてくれている」としたほうが原文に忠実かもしれません。でもそれは言い換えれば「ピカソの絵はまさに本物の「絵画」というものを私たちに見せてくれている」または「ピカソの絵を見ると本物の『絵画』がどんなものであるべきかがわかる」としても同じことのように思えます。要はどう訳した方が自然な日本語になるかということで、それは訳者に選択の余地があるのではないでしょうか?また、私としては3文目もPaintingは「(本物の)絵画」がしっくりきます。TinaさんがDiscussionでおっしゃている「絵の具で描かれた『もの』」はつまりは「絵画」な訳ですし。
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Note added at 1 day18 hrs (2010-04-29 10:08:11 GMT)
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3文目のPaintingも「絵画」でなく「絵を描く行為」ならば、「ピカソの絵ほど絵を描くという本来の姿を体現するものはない」としてはどうでしょう?
ざっと訳してみると、下記のようなことだと思います。
Metzingerの「絵を描くことは(本来)無用なこと(つまりそれ以外に目的を持たないこと)だが、一方絵を使って描写説明することは可能である」という(絵画とは本来どうあるべきかという)洞察を踏まえて見てみると、ピカソの絵はまさに(最も純粋な形における)本物の「絵画」というものを私たちに見せてくれている。過去のどのような絵画も、たとえそれが最高傑作といわれるものであっても、ピカソの絵ほど Metzingerの絵画の定義に当てはまるものはない。(意訳すると「ピカソの絵ほど最も純粋な形での絵画の定義に当てはまるものはない」とか「まさにこれこそ本物の絵画というものだ」)
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Note added at 15 hrs (2010-04-28 06:27:57 GMT)
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たまたま最近耳にした「芸術とはその存在自体以外の目的を持つものではない」という言葉が非常に印象的で、それと同じことかなと感じました。余談ですが、私は昔絵を描くのが好きだったのですが、最近は陶芸に励んでいます。私は「実用品」を作るのが好きなので、これを聞いた時「やっぱり私は芸術家でないなあ~」とつくづく感じたわけです。
建築物の装飾や権力の誇示などの目的のためでなく、画家自身の内側からあふれ出てくる創作意欲をただそれだけのために表現するというのが本物の芸術なんではないか、と。
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Note added at 1 day7 hrs (2010-04-28 22:33:56 GMT)
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TinaさんやYumicoさんのおっしゃっていることを踏まえると、確かに2文目は「ピカソは絵を描くことの本来の姿を我々に見せてくれている」としたほうが原文に忠実かもしれません。でもそれは言い換えれば「ピカソの絵はまさに本物の「絵画」というものを私たちに見せてくれている」または「ピカソの絵を見ると本物の『絵画』がどんなものであるべきかがわかる」としても同じことのように思えます。要はどう訳した方が自然な日本語になるかということで、それは訳者に選択の余地があるのではないでしょうか?また、私としては3文目もPaintingは「(本物の)絵画」がしっくりきます。TinaさんがDiscussionでおっしゃている「絵の具で描かれた『もの』」はつまりは「絵画」な訳ですし。
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Note added at 1 day18 hrs (2010-04-29 10:08:11 GMT)
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3文目のPaintingも「絵画」でなく「絵を描く行為」ならば、「ピカソの絵ほど絵を描くという本来の姿を体現するものはない」としてはどうでしょう?
Note from asker:
全体も訳してくださってありがとうございます。おかげ様で、別の箇所でも違った解釈が可能であることに気づかされました。describeは、「言葉で描写する」ことと思っていたので、「言葉の描写」と『絵の描写』を対比させているのかと思ったのですが、この場合は貴訳にあるように、「絵による描写」のような気がしてきました |
Peer comment(s):
neutral |
Yumico Tanaka (X)
: 理由はRieさんへのコメントと同じです。Discussionで述べたように、意訳として最適だとは思います。
3 hrs
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agree |
Joyce A
: This is also how I interpret this phrase.
4 hrs
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Thank you, Joyce-san!
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agree |
leutene
: 同意します。
7 hrs
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leuteneさん、ありがとうございます。
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neutral |
cinefil
: 「本物」「本来」という言葉は危うい言葉だと思います。
2 days 49 mins
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コメントありがとうございます。この点についてCinefilさんのお考えをより詳しく伺えれば幸いです。
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+2
1 day 1 hr
English term (edited):
painting
絵の具で描く
基本的にはYumicoさんと同じですが、どうもカタカナだと不自然な気がしてしまいます。 文章全体を見て、私なら:
"It is useless to paint, while it is possible to describe."
Equipped with this thought Picasso reveals to us the real face of painting.
I know no pictures from the past, not even the best of them, which so clearly belong to painting.
「絵を描くことは無駄ではあるが、描写することは可能である。」
この信念を胸に、ピカソは我々に絵の具と筆で描くことの真相を表している。
絵の具で絵を描くことをこれほど鮮明に象徴する絵画は、過去のどの名作にも無いと私は思う。
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Note added at 2 days33 mins (2010-04-29 15:53:10 GMT)
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The color is no longer realistically bound to the object being represented, or to put this in Picasso's own words: "Cubism was never anything other than this: painting for painting's sake, while excluding all concepts of unimportant reality. Color plays a role in the sense that it helps to depict volumes."
もはや色は題材の色を忠実に表現することに束縛されず、ピカソ自身の言葉で言うと、「キュービズムとは次のとおりであり、他の何物でもない:絵を描くことそのもののために絵を描くこと。重要ではない現実のコンセプトはすべて排除する。色の役割は大量の意味を表現する要素としてである。」
"It is useless to paint, while it is possible to describe."
Equipped with this thought Picasso reveals to us the real face of painting.
I know no pictures from the past, not even the best of them, which so clearly belong to painting.
「絵を描くことは無駄ではあるが、描写することは可能である。」
この信念を胸に、ピカソは我々に絵の具と筆で描くことの真相を表している。
絵の具で絵を描くことをこれほど鮮明に象徴する絵画は、過去のどの名作にも無いと私は思う。
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Note added at 2 days33 mins (2010-04-29 15:53:10 GMT)
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The color is no longer realistically bound to the object being represented, or to put this in Picasso's own words: "Cubism was never anything other than this: painting for painting's sake, while excluding all concepts of unimportant reality. Color plays a role in the sense that it helps to depict volumes."
もはや色は題材の色を忠実に表現することに束縛されず、ピカソ自身の言葉で言うと、「キュービズムとは次のとおりであり、他の何物でもない:絵を描くことそのもののために絵を描くこと。重要ではない現実のコンセプトはすべて排除する。色の役割は大量の意味を表現する要素としてである。」
Peer comment(s):
agree |
Yumico Tanaka (X)
: 「絵の具で絵を描くことを」どうしても日本語だと「絵」が重なるんですよね。。でも基本的に賛成です!paintには絵の具という名詞とその動作の動詞ふたつあってめんどうですね。「絵の具を使った描写」とでもなりますかね。。。
4 hrs
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確かに厄介な文章ですよね。
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agree |
Raitei
: 絵の具で絵を描くことをこれほど鮮明に象徴する絵画は、過去のどの名作にも無いと私は思う。Nailed it!!!! You are trully a perfect bilingual and I always learn something new from the way you approach both languages.
1 day 14 hrs
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Thanks for the kind words!
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Discussion
The color is no longer realistically bound to the object being represented, or to put this in Picasso's own words: "Cubism was never anything other than this: painting for painting's sake, while excluding all concepts of unimportant reality. Color plays a role in the sense that it helps to depict volumes."
In his picture Tea Time Metzinger shows a female nude drinking tea. Frontally and as a half-figure he depicts a woman sitting at a table. Only around her lower toso is wrapped a cloth, which she has thrown over her right arm. In her right hand she holds a spoon and with her left hand she lightly touches the cap before her. The objects in the picture, which are quickly readable, are only minimally, almost scholastically fragmented, such as the vase in the background to the left, for example. The depiction communictes a rather hesitant, almost uncertain approach by the artist. となっています。
In his picture Tea Time Metzinger shows a female nude drinking tea. Frontally and as a half-figure he depicts a woman sitting at a table. Only around her lower toso is wrapped a cloth, which she has thrown over her right arm. In her right hand she holds a spoon and with her lefthand she lightly otuches teh cap before her. The objects in the picture, which are qickly readable, are only minimally, almost scolastically fragmented, such as the vase in the background to the left, for example. The depiction communictes a rather hesitant, almost uncertain aproach by the artist. となっています。
ですから、タイトルが具体的な事物であっても、その絵の真の主題は、subjectと格闘した画家の痕跡(解釈と言っても良いかもしれません)であったわけです。
絵画は、神に捧げられ、教会に捧げられ、権力者に捧げられてきましたが、壁から離れて「タブロー」になったことと、油絵の具という簡便に持ち運びの出来る絵の具の登場により市民に捧げられるものになりました。
その後、印象派あたりから「タブローとは何か」という問いかけが発せられるようになり、この問いを徹底的に追及したのがキュビズムであり、さらに追求したのがマーレヴィッチでしょう。
ついには、タブローは他の誰でもないタブローそのもの(画家の描く行為そのもの)の為に存在すべきであるというところに到達しました。その後は、写実から完全に離れた抽象画(モンドリアンなど)、さらにはタブロー自体をオブジェとするフォンタナのような画家も現れ、現代では最も先鋭な芸術家はタブローよりもインスタレーションの分野により多く出現しているように私は感じています。
Picasso does not deny the subject; he illuminates it with his intelligence and his emotions. Cezanne showed us thing as they exist in real light; Picasso gives us a concrete depiction of reality as it arises through his perception -- he uncovers a mobile perspective.
私は、paintingは役立たずだが表現することは(だれにでも、どんな手法でも)できることだ。表現したいものがあれば(手法はなんであれ)表現すればいい、自分の考えを紙にぶつけるのだ、な~んてそういう考えをピカソは持っていたんではないかと解釈しました。
ですから「describeでは表現できないものをpaintingならば表現できる」とは対照的な考えですね。「describeでは表現できないもの」??これ、わかりません。
「describe=paintingというのが私の考えです」というのは不適切な表現でした。
つまりdescribeでは表現できないものをpaintingならば表現できる、ということです。
です。
とあるように、冠詞があるでしょう。だからやっぱりここでいっているのは動詞+ingの同盟しなんですよ。
線描 という解釈も成り立ちますね。
線描できるのであれば塗る(paint=面で表現する)必要がない?
あるいは、describeを描写と解釈すると、paintingは、絵の具を塗るという行為?
「Painting is the practice of applying paint, pigment, color or other medium to a surface (support base). In art the term describes both the act and the result, which is called a painting. Paintings may have for their support such surfaces as walls, paper, canvas, wood, glass, lacquer, clay or concrete. Paintings may be decorated with gold leaf, and some modern paintings incorporate other materials including sand, clay, and scraps of paper. Painting is a mode of expression and the forms are numerous...」とあります。
the Cubist school of painting (=a particular style used by a group of people)
Longmanかのどちらかだと思うのですが、どうでしょうか。
いずれにしろ冠詞のないpaintingだと、たとえばI like paintingのように「絵を描くことがすき」であって「絵画がすき」と訳すのはまちがいだと思うのですが。でももちろんこれはlike ~ ingの形ですから動名詞ですね。今回の場合は名詞と捉えられないことはないかもしれませんが~ingとして捕らえるほうが自然じゃないかなと思ったのです。でも結局「いい訳」にする場合はそういうことにこだわらず、転換自在にすることが大事ですものね。Howardさんの訳がそういった意味で最適だとは思います。
■n.
【1】絵,絵画,油絵,水彩画:
a painting in oils 油絵
a water-color painting 水彩画.
【2】絵を描くこと,画法,画業;ペンキを塗ること,塗装,彩色;(陶磁器の)絵付け;化粧:
sign painting 看板かき
blast painting 吹き付け塗装.
【3】⦅集合的⦆(ある特定の場所または時期に描かれた)絵画:
a book on Flemish painting フランドル派の絵画に関する本.
【4】ペンキ[絵の具]を塗ったもの,彩色したもの.
【5】絵の具,ペンキ,塗料.
ランダムハウス
paint‧ing
[countable] a painted picture that you put on a wall for people to see:
[uncountable] the act or skill of making a picture, using paints:
the Cubist school of painting (=a particular style used by a group of people)
Longman
多分アクション・ペインティングあたりからpaintingを絵画と訳すことが多くなったと思います。
Paintingsというならまだしも、日本語では絵画といえば名詞、Paintingというのはあくまで動名詞でしょう。
painting=絵画と訳すのが一般的になってしまっているんでしょうか。
「絵を描くこと自体に属した絵?」???